この作品、時代小説なのですが、ミュージカルにならないかな、と思いました。日本にも時代劇ミュージカル(オペレッタ)というものが花咲いていた時代もありますが、もう一度、復活して欲しいな、と思うことしきりなのです。1950年代の東映のアイドル俳優系時代劇など、ミュージカルでないのに、めったやたらと唄ってしまいますが、その手の映画のご都合主義の固まりのストーリーと、時代考証無視の「ジャズ風歌謡」のハッピーさに、かなり心惹かれています。若い陽気な殿様は、町人姿に身をやつし東海道中を奔走したり。お城を抜け出した可憐なお姫様は、なぜか茶屋娘とそっくりで入れ替わってみたり。乳母はあくまでも口うるさく、城代家老はあくまでも腹黒く、空はどこまでも青く、歯はどこまでも白く、粋な義賊や、洒落た浪人、公儀の密偵、幕府転覆の陰謀に、恋の鞘当、あれもこれも飲み込んで、今日もお江戸は日本晴れ。などなどと、楽しいだけの映画なのだけれど、見る者を幸せにする力に溢れていたのではないかと思うのです(和製ミュージカル映画の歴史に興味がある方には『唄えば天国(天の巻)』という本がおすすめです。なんとあの伝説のオペレッタ時代劇『鴛鴦歌合戦』のメインテーマが採譜されています。着メロを作ったりしましたよ)。『退屈姫君伝』を読んでいて、そんな大時代の楽しい時代劇感覚に久しぶりに触れた思いがしました。ほんと、面白かったあ。以前にこちらのコーナーで、【瑞】さんが単行本版を紹介していますが、文庫版の章ごとの扉絵イラストは、単行本版と違っています。文庫版の方も可愛いげでなかなか良いですよ。
陸奥磐内藩五十万石の末娘、めだか姫。目ばかりが黒く大きく、顔が透き通るように白い、名前どおりの赤ん坊だった姫様も、年頃となって可憐な美少女へと変貌をとげました。とはいえ、どうにも奇妙な性格で、夢想癖のあるいたずら好きな娘に育ってしまいました。そんなめだか姫にふいに縁談がもちあがり、あれよあれよの間にお嫁入りが決まってしまいます。相手は、二万五千石(ぽっち)の風見藩の藩主時羽直重さま。はじめは「えーっ」とブーイングの姫様も、意外と直重様が気にいって、20倍の石高の差もなんのその、仲睦まじく暮らすことになります。ところが、この縁談には、めだか姫には知らされていない「事情」があったのです。夫の直重様が参勤交代で国許に帰ってしまうと、大名の奥方様は藩の江戸屋敷で暇をもてあますことになります。ただでさえ、いたずら好きのめだか姫。退屈、退屈、退屈、な毎日の、退屈しのぎに腰元の格好をして江戸の町にお忍びに出るは、風見藩の七不思議にひとつ足りない六不思議(小藩ゆえに足りないのです)を解いたりと八面六臂の大活躍。そして、見つけ出した姫様と直重様の縁談の謎にも関わる磐内藩と風見藩の密約の存在。時代劇の悪役専門、おなじみ田沼意次の、改易(藩のお取り潰しです)の陰謀から、風見藩を守るため、あれやこれやの大騒動となるのですが、続きは読んでのお楽しみ。脇役もみんな個性的で、楽しいキャラクターばかり。いや、めだか姫は、どうやって最後のピンチを切り抜けるのかとハラハラしたのですが、胸のすくような逆転劇と大団円に大満足。いや、この最後のトリックを映像で見てみたいな。愉快痛快な一大娯楽作品です。
池上永一さんの『風車祭』を読んでいた際に、ああ、こういうタイプの小説にふさわしい賞があると良いのになあ、と思ったことがあります(ファンタジー大賞出身作家の直木賞候補作であったかとは思いますが)。それぐらい、ほめ称えたかったのです。今回、『退屈姫君伝』を読んでいて、やはり、その思いが強くて。なんだか難しいことや悲しいことを考えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、心の底から楽しくなる、そんな小説の魅力ってあるなあ、とつくづく思ってしまいました。ファンタジーであるとか、時代小説であるとかは関係なく、あたたかいユーモアで、読む人を幸せにすることはできる。ジャンルを超越して、ユーモア作品の魅力は共通だなと思いました。作家の名前を冠するなら、井上ひさし賞・・・というわけにもいきませんので(失礼)、獅子文六賞など樹立されたら良いなと思います。日本にユーモア小説の花を、再び咲かせて欲しいな、と思うところです。 |