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| 2003/3/24 |
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『サヨナラ、学校化社会』
著 者:上野千鶴子 出版社:太郎次郎社
発行日:2002年04月 本体価格:1,750円
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上野千鶴子さんの本を手にするのは、思えば久しぶりでした。さすが、スパスパと切れ味鋭い文章です。たまたま書店で目にして読んだのが、もうずいぶん前になるのですが、この場でとり上げるのはおそれおおく、へたなことを書くと「文章に芸がない」と叱られそうで、かなりためらってしまいました。そうこうするうちに時間がたったのですが、気を取り直して、紹介してみることにします。(という言い訳で始めている時点でNGサイン点灯かもしれません)
上野先生は、京都の「偏差値四流校」で教壇に立っていましたが、もう何年前になるでしょうか、東京大学に移られました。京都、そして上野先生のイメージと、いわゆる「権威主義的」な東京大学のイメージと、ミスマッチを自分の中で感じたものですが、果たして、学生の気質の違いがこうして取り上げられたのを読むと、興味深いものがあります。
「偏差値四流校」というのは、京都精華大学のことです。学生自身が自分達の大学のことをそう呼ぶそうです。そういう、「学校的価値観」での評価を学校教育の場ですりこまれてきている、と。一方で、東大生のほうは、学校的価値観での優等生として、それなりの自意識も持っているわけですが、その価値観の枠が何なのか、たとえば要約がうまいことであったり、教師が求めることに素直に応える能力だったりします。その評価の枠の外では、「生活力」では精華大生のほうが勝ると感じられるとか、そんなふうに、学校的価値観を相対化することで見えてくるものがあり、なるほどなと思わされます。
精華大の学生に授業でフィールドワークをさせてみたときのことが書いてありました。「研究者」の態度として、どこかから引用したり、聞いたふうなことを思い込みで書いたりするのではなく、一次情報(直接アンケートを取ったり、自分の手足を使って調べたもの)から結論できることだけを言え、というふうに学生にやらせます。すると、意外な結論が出て来ることもあり、また、それが面白いんですね。「ぼくは頭を持っていたけど、使い方しらへんかっただけや」と精華大生が気付いたのを読むと、「学生くんがんばれ!」と応援したくなります。
比較の対象が、「偏差値一流校」としてあまりに記号的な「東京大学」でもあるし、それが低い評価をされることで、「やっぱりな」とか、安心する気持ちがあることも認めざるを得ません。上野先生には、ぜひどこか他大学の教壇にも立っていただいて、3校を比較していただければ、さらに面白くなるだろうと、ひとまかせな期待をしました。 |
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【楽天スタッフ 笑】 |
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