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| 2003/12/25 |
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『睥睨するヘーゲル』
著 者:池田晶子 出版社:講談社
発行日:1997年01月 本体価格:1,500円
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本書の著者は、今ベストセラーになっている『14歳からの哲学 考えるための教科書』の著者、池田晶子氏。難解な哲学用語を使わない「思考する文章」の書き手。そして、かなりの美女!…と油断させておいて、かなりの男前と言いますか、鉄…じゃない、哲の女です。
ところで、私は学生の頃に哲学科に在籍しておりましたが、哲学にはほとほと嫌気がさしておりました。過去の他人が考えたその「問題」が自分にとって全く切実でないとしたら、それについて懸命に理解することに何の意味があるのだろう?そう思っていました。そんな時出会った、池田晶子氏の著書(『帰ってきたソクラテス』)。哲学をするのに、哲学用語を使う必要も、哲学書を解読する必要もない。「自分で考える」ことこそが哲学だ、と。ストンと腑に落ちました。そしてドイツ語文献だの中世哲学だので頭の中が知恵の輪だらけになっていた私は、大喜びでその知恵の輪を放り出したのでした(笑)。
とは言うものの、哲学用語や書物無しに「自分で考える」ことは決して容易では無く、強靭な思考力が必要なことだと思うのです。徒手空拳で自分の中から宇宙にまで沈思していかねばならないのですから。そしてそこで出会った謎を直視せねばならないのですから。私にはなかなかできません…。けれど本書で私が深く腑に落ちたのは、「「考える」とは、孤独の自覚である。人は、考えれば考えるほど、己の孤独をいよいよ鋭く自覚するに至る」という一文でした。そしてさらに、その孤独・虚無をしっかりと見据えつつも、やはり生きようとする姿勢が必要で、「優れた政治家、優れた経営者など、優れて現実的な人々は、例外なくこの虚無の力とその用い方に、ひそかに通暁している人々」だと著者は言います。その域に至るには、やはり「考える」しか無い。お金とか、人脈とか、学歴とか、知識とか、勉強などでは絶対無理で、ひたすら「自分だけで考える」ことだけがその方法で。
さらに著者は言います。「正しい見方で自分の虚無を見据えつつ語られるとしたなら、そのとき語られるのは、やはり「自分」ではないはずなのだ。語られるはずなのは、力強くも語られるはずなのは、自分を超えた全体のための考えだ」。そして「優れた政治家、優れた経営者など、優れて現実的な人々は、間違いなくそうである。自分のためというちっぽけな制限を捨てることによって、全体を透視する視点を手に入れるのだ。したがってこのとき彼らは、自分を語ることによって実は全体を語っているのである」。私は最近、これと同じような意味の一文を目にしました。「人間の真の価値は、おもに、自己からの開放の度合いによって決まる」。物理学者アインシュタインの言葉です。
そういえば、私の親しい、かつて哲学を研究していた人がこう言っていました。哲学は「真理」を求めるものだから、考えれば考えるほど自分はどうでもよくなる、と。でも自分がどうでもよくなったら生きていくのが大変じゃないの?と思うのですが、ところが全く逆で、それって物凄く「強い」ことなのだそう。私利私欲で動かず、全体のためを考え、常に真理を見抜く。だから騙されないし、結果は出るし、信頼はされる。生きるのに大変有利ですね(笑)。まぁそれはともかくとして、哲学が世の中の役に立たないものと見なされているのはとても残念なことだな〜と私も思います。だからと言って即役に立つようなものでもないんですけど…。
などなど、クリスマスイヴの夜に一人うだうだ考えるのもまた楽しい、私的にはとても静かで神聖な夜だったのでした。メリークリスマス♪
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