前作『アンダーグラウンド』は地下鉄サリンの被害にあった方やその遺族へのインタビューで構成されていますが、本書は加害者であるオウム信者へのインタビューです。著者は前作同様、「正義の立場に立って、悪であるオウムを弾劾する」のではなく、一連の事件を少しでも深く理解するための「材料」のひとつにすることを目指しています。 ひたすら静かに話を聴き、「彼らをオウムにひきつけたものはなんだったのか」ということを解き明かす努力をしています。
彼ら一人一人の言葉を読んでいると、彼らが心のより所を求めてオウムに惹かれていった経緯がわかります。麻原という人は、当初すごいカリスマ性があったらしいです。彼らの投げる疑問に明確な答えを返し、心をとらえていったのです。やがて師の言うがままに、世間を執着するに値しないものと考えて、すべてを捨てて出家していきます。でも、その新しい社会も、決してパラダイスではありませんでした。
著者も言っているように、ここでインタビューに答えた人達は、感じのいい人が多いようです。そもそもオウムに入信した理由は功利的な社会に対する違和感であり、真面目で純粋な動機なのだから、そうそう悪い人はいないのかもしれません。教団内でも想像していたほど全ての人が麻原を盲信していたわけでもなく、「オウムで出世したければ東大生か美少女になるしかない」なんて笑いあっていたというエピソードもありました。大きな組織になって、上で何を決め、何をやっているのか一般の信者には何も伝わって来なかったわけで、サリンをまいたトップの人達とは分けて考えなければならないのもわかりました。(でも一つの宗教でここから上は「まだわからなくてもいい」っていうので下の人は納得して修業を続けていけるのかなという疑問は残ります。)犯罪に手を染めた人たちも、もともとは高い理想を持っていたはずです。基本的に良い人達が良い目的のために集まったのに、最悪の犯罪を犯してしまったわけです。
宗教を持つ人は嫌いではないです。この国で「宗教を持っている」のはどんなに肩身が狭いことだろうと思います。それでも生きにくい道をあえて選んでいる人は、目に見えないものの価値を知っている人だと思うのです。だけど、自分たちにとっての「良いこと」が世界人類だれにとっても「良いこと」だと信じて疑わない人には懐疑的です。それは宗教に限ったことではないのですけど。
世の中に、絶対的な「善」というものがあったとして、それに従っていれば何も考えなくても正しい生き方ができるというのであれば、私ももしかしたら従ってしまうのかもしれません。悩むことも、恐れることも必要ない。誰かに訴えられても、つかまっても、裁判にかけられてもへっちゃら。だって、私は正しいんだから。悪いのは俗世間で汚れて生きてるあなたたちのほうです・・・ってかんじで。でもこんなに矛盾だらけの人間が作る社会で、絶対的な「善」などが存在するなんてとても信じられないです。
巻末の河合隼雄氏との対談の中で、著者はこの世界の構造を私たちはチャイニーズボックス(入れ子)のようなものととらえているのではないかと言っています。今とらえている世界のひとつ外側に、あるいはひとつ内側に別の箱があるんじゃないかというのを潜在的に理解していて、それが我々の世界に影や深みを与えているのですが、オウムの人達の言っていることは限定された一つの箱の中でだけ通用する理屈なのではないか、そのぶん単純で強固で完結していて、何かが変だと思っても有効な反論が出来ないのだと。ここを読んで、ずっと感じていたもやもやが少し晴れたような気がしました。
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