明治生まれの文豪、大佛次郎が大好きな猫のことをあちこちで書いた随筆を一冊にまとめた本です。この本を数ページ読んだだけで、著者の抜群のユーモアのセンスと、おっとりした優しさが伝わってきて、自然と笑みがこみあげてきます。
鎌倉の大佛家には多いときは15匹もの猫がいたそうです。猫好きなことが世間に知れ渡っていたので、わざわざ家の前に猫を捨てていく人が後を絶たず、戦後の食料不足のご時世、とても困り果てていたことがうかがえます。ごはんを食べに来るだけの通いの猫が、しばらく姿を見せないと思っていたら子猫をつれて引っ越してきて、冗談じゃないと、ほうっておいたものの、寒い季節になるとかわいそうになって家に呼び入れてストーブに当らせてやり、結局は住み込みとして受け入れてしまいます。
小猫で鈴をつけてよく庭に遊びに来る、かわいらしいのがいて、ある日、「君ハドコノネコデスカ」と荷札に書いて付けてやったところ、三日ほどたってまだ荷札をつけていたので、かわいそうにと外してやると、そこに「カドノ湯屋ノ玉デス、ドウゾ、ヨロシク」と書いてあったというエピソードがとても好きです。
文豪は時に、沢山いても、鼠もとらない、泥棒がはいってもさわぎもしない(犯人は出入りの魚屋だったという落ちがつきます)、居るだけで何もしない猫たちに、バケツリレーのように本を運んでくれたりしてくれてもいいのにとぼやいてみたりします。電気大工道具の宣伝を見て、自宅の庭に猫の監獄と病院を作ったらどうかと考えてみたりもします。十五匹もいると体調の悪い猫もいるわけで、そいつを他の猫と隔離して断食療法を施したり、小暴力(「小」がポイント)で他の猫をいじめ、立ち小便をした猫を禁固刑にしたりして秩序を守ってはどうかと計画したりするのです。ビールやワインの木箱を壊して格子にすればいいとか、けっこう具体的に考えています。
いろいろ猫との暮しに頭を抱えながらも、やっぱり猫が好きな大佛氏は、あまり魚に縁のなさそうな山寺の猫のために、猫だけが発見できるようなかまどの陰や庭木の繁みの下に目刺しを隠して置いておき、「猫のやつ、なんとこの世はどこへ行っても楽しいことに充ち充ちていると思うだろうな」と面白がったり、パリの街猫にタタミイワシをやって喜んだりしています。
どのエピソードにも猫との冷静な距離があり、「ウチのねこちゃん自慢」みたいなひとりよがりな感じがまったくなく、猫の幸せを尊重した静かで深い愛情を感じます。最後に掲載されている「スイッチョねこ」という童話は、子供の頃に読んだ記憶があります。これもまた説教臭くない、淡々としたかわいらしい物語です。 |