この本は買った記憶がある・・・。タイトルと表紙を眺めていて思いだしました。たしか5年以上前に購入したことがある。しかし、読んだ記憶がない。所謂「積読」が、そのまま山の下に埋もれてしまうことは良くあること。おそらくそうした一冊なのかと思います。購入した時の記憶を遡っていたのですが、どこかの書評で誉めていた小説だったような気もします。この5年間に2回引越しをしているもので、いつの間にか「なくなってしまった」ようです。どうにも気になったので、再購入。今度は、忘れないうちに読みました。おお、この購入動機には、ぴったりのストーリー・・・。
大学生のポーリィが休暇で実家に戻った際に、かつて自分が読んだ一冊の本を手にとり再読すると、以前に読んだ時と内容が変わっていることに気づきます。この本にまつわる色々なことを思い出していくうちに、ポーリィは、自分の中に「もうひとつの記憶」があることを発見します。まるで、その本に収録されている「二重生活」という短編のように。鍵となるのは、もうひとつの記憶を思い起こさせる『火と毒草』と名づけられた写真の額、そして、ある「出会い」のこと。あれは、十歳の頃、友達のニーナと遊んでいる時に、ふいによその家(ハンズドン館)のお葬式に紛れ込んでしまったことがあった。その時、出会った一人の男性は・・・。ポーリィの「もうひとつの記憶」を遡る旅がはじまります。
迷い込んだ「お葬式」でポーリィは、偶然にリンさんという男性と出会います。子どもと大人。つかの間の邂逅だったのですが、二人は、その短い時間の会話で、お互いを「共感できる同志」と認め合います。同じ空想を共有できる仲間。それから数年にわたってポーリィとリンさんの交友は続きます。オーケストラでチェロを弾くリンさんは、各地から「物語を書いた手紙」や本(このラインナップがとても興味深い)を送ってきてくれる。しかしリンさんには、前妻であるハンズドン館の女主人ローレルの不気味な影が絶えず忍び寄っているのです。幾つかの奇妙な事件の思い出と、ふいに途切れてしまったリンさんについての記憶。そして、周囲の誰もリンさんを覚えていない。今の今まではポーリィ自身も思い出せなかったのは、一体、何故・・・。
貼り巡らされた伏線と隠喩。非常に複雑な構成となった物語です。解説の中で、三村美衣さんが『読み終わるや、もう一度最初から読みかえしたくなる不思議な魔力まで持ち合わせている。』と書かれていますが、私も読み終わるや、もう一度読みなおして、この文章を書いています。とても面白い。読み返す度に発見があるかも知れません。物語の中になにげなく隠されたキーワードが、再度の際に、俄かに輝きはじめるのです。ファンタジーとしての面白さもさることながら、ポーリィの十歳から十九歳にわたる長い歳月の、その微妙な感情の揺れや、心の成長も興味深いところです。学校生活での諸々や、仲の良かった友達と「足並みが揃わなくなる」感覚。両親の離婚や、母親との距離感。リンさんともすれ違ってしまうような言葉や感情の行き違い。リアルな十代の心模様も巧みに描かれています。やがて、封じ込められた記憶を解き放ち、リンさんのために闘うポーリィ。愛するということの意味を見つけていく様は、まさに成長物語と言えるかと思います。
このところ、男の子の成長物語を二作ほど読みました。ドーアティの『蛇の石 秘密の谷』とアーモンドの『肩胛骨は翼のなごり』。ひとつの「事件」を通じて世界を広げた少年たち。カーネギー賞受賞作家(アーモンドはこれが受賞作)によるものですが、両方とも面白く読めました。男の子の方が、成長に、わりと、こう一足飛びな潔さがあるような気もしますが、物語それぞれかな。概して女の子ものの方が、その微妙な感情のゆらぎを取りこんで、繊細な物語空間が作られているような気もします。「どこでもないところ」、「もうひとつの庭」での体験がもたらす成長は、ある種のファンタジーのパターンですが、やはり魅力を感じてしまいます。この手のものでは、高楼方子さんの『時計坂の家』や、梨木香歩さんの『裏庭』などが好きな私は、やはり児童文学系。少し、ジュブナイル系にも触手を延ばしてみようかな、などと思っています。それにしても、前にこの本を買った記憶は、本物か、単なる勘違いか、今もってわからないのが気持ちが悪いのです(やっぱり、本の購入記録帳はつけるべきですね)。
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