吉野弘作品との出会いは、中学、高校の国語の教科書でした。教科書に採用された作品、というのは、それぞれ優れた文芸作品であることが多く、アンソロジーとしても興味深いものです。あの「教科書」というパッケージに納められてしまうと、少々、色褪せて感じられるものですが、吉野弘作品を読んだ時のインパクトは非常に大きく(申し訳ないことに「授業」の記憶は、あまりないのですが)、後年、思潮社の現代史文庫『吉野弘詩集』を手にするきっかけとなりました。『比喩の太陽』、『夕焼け』、『雪の日に』(詩集『消息』のものの方だと思います)など、今、読み返してみても、良いなあ、と思ってしまいます。一読すれば、きっと遠い記憶を呼び覚まされる方もいらっしゃるのでは。教科書(授業)で読むには、多少、気恥ずかしくなってしまうような、平易な言葉で語られる、美しくも優しい「現代詩」。思潮社の現代詩文庫(続刊、続々刊と発行されておりますが)の初期作品のものしか持っていなかったので、今回、代表作が集められているハルキ文庫版でその続きをと思いました。
本書に『I was born』という一篇が収められています。童話屋のアンソロジー『ポケット詩集』にも収録されていますが(これはとても綺麗な本。ルビさえも)、現代詩の作品としては、膾炙されたものとなっているようです。吉野弘作品の中では、より散文的ですが(もともと音数律もなく、韻も踏みませんが)、平易な現代文でありながら、心に突き刺さる「詩」です。英語を習いたての少年(僕)が、「I was born」という英語表現が「受身形」であることを、ふいに「発見」して、父親に、人は生まれさせられるんだね、自分の意志ではないんだね、と言う。無邪気なその言葉に、父親は沈黙し、そして、思いがけない話を少年にする。それは、カゲロウの雌の命の瞬きが、次の生命を生み出すためだけに費やされるという話に続く、少年を産み落としてすぐに亡くなった母親について…。少年の心のうちを貫く言葉。そして母親への想い。語られ得ない言葉の余白が、鋭い痛みを持って胸に迫ります。詩集全編を通じた、どこかユーモラスで優しい眼差し。日常の営みを、平易で素直な言葉で語る。直接的に感傷を歌うのではなく、静かに心に染透っていく言葉の綾。ゆっくりと味わってもらいたい一冊です。ハルキ文庫の詩集のレイアウトがとても良いと教えてくださった方がおり、手にとったのですが、読みやすい本でした。それにしても、ハルキ文庫の「詩集」のラインナップは興味深いですね。
以下、ちょっと、個人的な感慨となります。今年の母の日は、例年になく切ないものとなりました。私が母親を亡くしたのは十歳の時で、もう二十年も前のことです。今更、そんな感傷もないなあ、と思っていたのですが、この楽天ブックスで、サトウハチロー詩集『詩集おかあさん(全三巻)』がベストセラーとなり、ちょっと思い出してしまいました。私の母も、この本を持っていました。とても本の好きな人だったのです。自分の子どもも本好きな子にしたかったのか、多巻ものの世界児童文学全集を買い与えてくれたのですが、当時、活字に興味のなかった私は、ほとんど読みもしないまま。結局、近所の子どもにあげてしまうこととなり…。随分とがっかりさせたのではと思います。母が亡くなった後、随分と時間がたってから、少しづつ母の本棚に遺された本を読んでいくようになりました。『おかあさん』もその一冊だったのですが、もう、この本、泣けて泣けてしかたないのです。だから、もう読まない(笑)。いえ、いつかまた読みたいのですが、もう少し時間が必要なようです。本が好きだった母、それとも母の本棚からの影響も多少はあったか、巡り巡って、本に関わる仕事をしている自分。吉野弘さんの『I was born』という詩を読むと、やはり、母に「与えてもらったもの」のことを考えてしまいます。「生まれさせられた」という意識もなく、能動的に生きてきたつもりですが、どこか母親に回帰しようという思いもあるのか。大した人間にはなりませんでしたが、こうした自分に生み、育んでもらった、ということへの感謝。自分で自分をなかなか好きにはなれなものの、それでも、年を負うごとに自分自身と和解しつつあり(笑)、少しずつですが、感謝の念は増しているようです。
ところで、サトウハチローの妹であり、佐藤紅緑の娘である佐藤愛子さんがご自分の一家を描いた『血脈』(全三巻)は期待の大作で、読みたいと思いつつ、なかなか読む時間もなく残念に思っています。本に関わる仕事が忙しく、本を読む時間がないという、まあ、なべてそんなものでしょうか。 |